ベタホム信者の弾いてもいいですか?

ベターホームホームメイドクッキングで習ったことの復習を始め、ベターホームの本の料理も作っていきます。そして、ポップスタイルピアノで80年代の曲を習ってます。

激動の3ヶ月を一気にご報告。

激動の3ヶ月でした。

 

こんばんは、のりおです。

お久しぶりです。

前回のブログで「また明日」な〜んて綴っておいて3ヶ月ぶりか。

ダメだわね。

 

さて、わたしの激動の3ヶ月、一気にご報告してみましょうか。

 

まずは義父と母のガン再発問題。

 

突然だけど、パン屋を辞めたって報告してたっけ?

表向きは母のガン(この頃は再発してなかった)と父のガン再発。

でも仕事をしてる中で後半はやたら怒鳴られ、忖度ばかりして思うように働けなくなったのが大きい理由かな。

昭和の女のわたしが言うのもなんだけど、昭和時代のオヤジは怒鳴ればついてくると思ってるのかといまだに不思議に思うわ。

まあ、物価高、とくに小麦粉等々、ダメージ大きかったろうな。

週1くらいでも...とは言われたし、それならって気持ちもあったんだ。

しか〜し、仕事を辞めた今、後悔ゼロ!!

すっきりしたわ。

もう人に使われて働くのやめた。

 

母のガン再発ついては、正直、こんなに早く?

と、二人で呆然とした。

そしてどんな因果か、抗癌剤を始めた日は同じくガン再発が明るみに出た義父と同じ日。

 

母の退院後1ヶ月で経過の定期検診。

そして次の定期検診で再発かも?となり...3月末にPET検査をした結果再発決定。

 

あまり好きではない母でしたが、この病気で他界することになるだろうと思うと気持ちがザワザワするもので....

これが親子という血のつながりなんだなと実感したわ。

 

1月いっぱいで仕事を辞め、実家に帰る頻度がとても高くなりました。

その頃から、今まで知らなかった両親の生活を垣間見るようになった。

父はグランドゴルフに行って、母は友だちとランチやお茶してのんびり仲良く暮らしてた。

そういえば去年の夏、父が脳梗塞になって死にはぐったことがあったの。

そのとき今のうちにできるだけ両親に会っておこうって決めたのに、日常に流されてた。

やっぱり仕事があるとダメだよ。

時間があったらやりたいこと、やろうと思ってたこと、全然できない。

人それぞれそうなのかもしれないけど、仕事ストレスってすごいよね。

仕事をしてるとき、ストレスが原因で買ってたものたくさんあった。

仕事を辞めたら、しっかり自炊してるし無駄遣いが一気に減って健康的な生活になったよ。

なんのための仕事だったのかと思ってしまう。

 

パン屋はともかく、その前の仕事では話しかけられる度

「もう!!なんなの!?」

と、毎日愚痴ってしまう大嫌いなオヤジとの人間関係。

よくぞ、2年も我慢した。

思い出すだけでも、あのときのストレスはヤバかった💧

 

話しを戻して...と。

相変わらずお菓子にパン、いろいろ習ってます。

 

実はず〜っとむかし、母の友だちにパソコンを教えていたことがあったの。

そのときパイシートを使ってお菓子を作り、いつもよくしてくれるその方に差し上げたんだ。

当時、わたしなりのお礼のつもりで渡したの。

それなのに母に「やだ!!そんなの渡したの?」ってバッサリ斬られ傷ついたことがあった。

そのときの母の一言が原因で、お菓子を作ってみることをやめた。

多分あれから10数年は経ってると思う。

多分この一件で「習えば作れるだろう」って気づいたんだよね。

 

最近では、習ったものをよく実家に持っていってみんなで食べてるの。

母がわたしが作ったものや、習ったものを「よくこんなの作れるね」って喜んで食べてる姿を見ると、バッサリ斬られた当時のことを思い出し感慨深く思ってしまう。

母は全く覚えていないだろうけど。

父とは違い、母には否定されて育てられたからね。

この間、料理が得意な母に「さすがわたしの娘だわ」と言われた。

他人の娘の自慢話ばかりしてた母が、ようやくわたしを知り始めてくれたんだ。

否定されてばかりだと、親に認められたいというか、認めさせたいって思っちゃうんだよね。

もう50才過ぎたのにこんな考え、まるで子供の頃のままじゃん(笑)

 

また話しを戻して....と。

そうそう、実家に帰ることが多くなって、母の友だちにも自分で作ったパンやらお菓子を配ってたの。

仕事をやめてる間にたくさん作る練習をしようって決めてたからね。

三宅島で売るときには、スムーズにいろいろ作れるようになっていたい。

そしたら、「わたしが作るものが美味しい、店を出しなよ」って応援してくれる人がだんだん増えてきたの。

「大丈夫だよ、三宅島でたくさん売ってくるから」って答えてたんだけど...

そのうち頼まれて少しだけ作るようになっていったの。

実際、保健所を通したキッチンじゃないと商売ができないし、勿体無いねって言われてた。

 

ところが、母のランチやお茶に付き合ってたら思わぬことが飛び込んできた。

 

いつも母と母のお友だちと一緒に行くお年寄りが集う喫茶店NPO主催)のマスターと数人のNPOの人で近くに保健所を通すキッチンを作って、子供たちに朝ごはんのおにぎりをサービスする運動をするというのです。

そのキッチンを使いたい人に安くレンタルすると...

わたしを応援してくれる母の友だちが「のりちゃんここで売りなよ」ってどんどん話しを進めてくれたの。

わたしも、もちろんその話に乗っかって準備してる...というのが今現在(笑)

そして母が自分の料理も売りたいと言い出したのが今朝の話し(笑)

 

そのキッチンを借りる予定の人たちでLINEグループを作り、着々と前に進んでます。

ただこのご時世、なかなか工事が進まないんだよね。

 

この3ヶ月でわたしが思ったことは、母が病気にならなかったらこんなに実家に帰ることもなかったし、ワクワクする未来も来なかっただろうってこと。

抗癌剤を受けて、今はやる気に満ち溢れてる母。

病状は心配だけど、今が元気ならそれでいいよね。

それに一人で好きなもの作って売れるって幸せだよね。

今までの総復習ができる上、残れば近くに住む親戚や子沢山のいとこ一家に渡せる。

 

作ることが好きなだけじゃダメ。

いろんなものを作って、人に渡して、喜んでもらう。

そうすれば、どんどん先に繋がっていくんだなって。

嫁というアウェイな立場の三宅島に行く前に、味方だらけのホームで腕試しができるね(笑)

 

辞める理由がなく、嫌々パン屋で働いてた未来を想像するとゾッとする。

 

今後、いろんなお菓子の商品化も考えてます。

 

この画像は渡した人全員に褒められた〝チーズケーキ〟です。

〝チーズケーキ〟は予約販売のみで決定。

こうやってどんどん商品化するもの増やしていくね。

 

あ、あとピアノ。

懐かしい80年代続けてます。

『スニーカーブルース』をロッカバラード風にアレンジを試みてます。

ちなみに『哀愁でいと』はブルース風かな?

アレンジ終わったけど、まだうまく弾けないの💧

 

今日はこの辺にしておくね。

長くなっちゃったけど、最後まで付き合ってくれてありがとう。

また明日、っていえないけどまたブログ更新するね。